Well-being
2024.9.9

Well-beingの「多義性」

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「Well-being」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康でイキイキと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるWell-being経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    Well-beingはその内容のみならず、語られる文脈もさまざまである。
    有意義な情報交換や対話のためには取り組む目的を明確にする必要がある。

    Well-beingを流行の新しい言葉と思っている人は多いようです。本連載でも紹介したように、この言葉は第2次世界大戦直後の1947年に採択された世界保健機関(WHO)憲章で「健康の定義」として使われているものです。オックスフォード英語辞典によると、語源はイタリア語のベネッセレ(benessere:しあわせ、福祉の意)で、16世紀ごろに導入されました。
    それでも、日本の新聞(全国50紙の調査)でWell-beingという言葉が登場する回数は、63回(2019年)から6003回(2022年)と3年間で100倍近くに急増しており、「この新しい横文字は何だろう」と思う人が多いのでしょう。

    「Well-beingという言葉とその意味をもっと広めるにはどうしたら良いと思いますか」。
    私はCWO(Chief Well-being Officer)を務めていることもあり、取材などでこんな質問を受けることが最近何度かありました。
    実のところ、私はWell-beingという言葉を広めたいと思って活動してきたのではありません。企業の産業医を20年以上務める中で、「健康」という言葉の本来の意味を、働く人々と共有したいと考えてきたのです。

    「健康」の意味を「病気でない」「健診結果に問題がない」といった「負がない状態」と漠然ととらえている人が多くいます。WHOの定義によるとそうではなく、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(原文ではwell-beingと表記)」とあります。
    2011年に丸井グループの産業医に着任してからも、それを伝え続けてきました。
    ですから私はWell-beingという言葉自体を社員が知っているかどうかよりも、その内容(本来の意味で健康かどうか)が重要だと思っています。

    言葉の認識

    ところが2023年秋、Well-beingという言葉とその意味を、社員が知っていることの重要性が示唆される出来事がありました。「日経 Well-being Initiative(ウェルビーイングイニシアチブ)」という産官学の集まりが中心となり、同年夏に上場企業の社員1万人に対する調査が実施されました。すると、相関関係ではありますが、「Well-beingという言葉とその意味を理解している人の方が、Well-being度合いが高い」という分析結果が出たのです。この傾向を一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏は「ウェルビーイング・コンシャス・プレミアム」と名付けました。

    若干意味合いは異なるものの、これは健康経営の研究分野で提唱されている「POS(Perceived Organizational Support、知覚された組織的支援)」という概念とも通じる事象かもしれません。POSとは「社員のWell-beingに対して組織がどの程度配慮しているか、社員の貢献を組織がどの程度評価しているかに関して、社員が抱く全般的な信念(感覚)」と定義されます。働く人の気持ちや理解の仕方に焦点を当てているのが特徴です。

    研究によればこの感覚が高まると、働く人の意欲や主体性が向上します。提唱者の心理学者アイゼンバーガー氏は、警戒心の強い社員は企業の健康の取り組みを宣伝や医療費削減が目的だと感じ、施策への参加が減り効果を得られにくいとして、POSが重要と述べています。POSの醸成には、企業としての一貫した姿勢や誠実さが肝要とされます。

    対話では目的を明確に

    Well-beingはその内容のみならず、語られる文脈もさまざまです。さまざまあって良いのですが、シンポジウムなどでは異なる文脈の話題が出されて論点がぼやけることがあります。

    そうした場でこれまで私が聞いた話題をもとにWell-beingの文脈を整理すると4つの領域に分けられます(下の図)。縦軸は、企業にとって「Must:必須」ととらえているか、「Nice to have:なくても良いが、あるとよろこばしい」ととらえているかです。横軸は、組織(社員・企業文化)に関することか、事業(顧客・サービス)に関することかです。

    「Well-being経営」と言う場合、取り組みを経営上必須の要素ととらえること(1と2 の領域)を指すだろう

    Well-beingに関する対話の場では、リラックス法の話をする人もいれば(図の3の領域)、事業戦略(同1の領域)や企業文化変革(同2の領域)について語る人がいるなど話題が発散しがちです。どれも誰かが「良く在る」ための事柄で、良い悪いはありません。ただ、話し合う領域を明確にしておかないと、「やっぱりしあわせが重要だよね」といった結論になり、生産的な対話になりにくいように感じます。

    企業がWell-beingという言葉を掲げる場合も、その位置付けを明確にする必要があると思います。
    「会社がWell-being経営と言い出したが、経営とは関係のない、時間外のレクリエーション補助(同3の領域)が増えたくらいで何も変わらない」と社員が感じれば、流行に乗って宣伝しているだけで本気ではないと思い、POSは高まらないでしょう。

    「Well-being経営」と言う場合、提供する価値や業績の向上につなげるとの考えに基づき、経営戦略の一環として取り組むべきだと思います。「○○経営(健康経営など)」を掲げる企業の担当者らから「社員になかなかわかってもらえない」といった声を時折聞きますが、それは取り組みが企業にとって「Must」ではなく、「Nice to have」の位置付けだからではないでしょうか。

    本連載の第37~38回で、経営戦略の一環として、創造性の高い企業文化への変革に取り組む丸井グループの事例を紹介しました。当社も参加している「日経 Well-being Initiative」の参画企業26社は、Well-beingを発展と変革の鍵ととらえ、図の1と2の領域の議論を深めています。
    言葉自体は広まりつつある今、各社は取り組みの位置付けを明確にして議論する必要があるように思います。