Well-being
2024.6.15

失敗の反対は、成功ではない

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「Well-being」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康でイキイキと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるWell-being経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    問題や失敗をなくすのと、成長や挑戦を促すのとではアプローチが異なる。
    経営戦略と紐づけて、自社が重視するWell-beingの領域を明示すべき段階に入った。

    「失敗」の反対言葉は「成功」。対義語辞典にはそう書かれています。
    しかし現実の社会や企業活動においては、失敗の反対は成功でなく「失敗しない」だと思います。ひたすら失敗しないようにしていると、いわゆる成功からも遠ざかる事象が多くあります。

    例えば、失敗しない防衛モードの資産管理には、定期預金があります。
    成長モードの資産管理には投資などがあり、リスクはありますが資産が増える可能性があります。
    失敗しない防衛モードの人材マネジメントには、例えば「マニュアルに沿った行動の徹底」があります。社員がとにかくマニュアルに従っていれば、失敗が起きるリスクは減ります。その半面、自発的なアイデアは生まれにくく、イノベーションも起こりにくいでしょう。
    これに対して、成長モードの人材マネジメントとしては、必要な権限と責任を与えて挑戦を促し、人の能力を最大限引き出すアプローチが考えられます。

    私たち医者は、よくこう言います。「無理せず休んで下さい」「大変なことは避けましょう」。
    失敗しない防衛モードの健康管理です。たしかに、何も負荷をかけずに休んでいれば、ケガやメンタルヘルス不調を防げるかもしれません。
    しかし、休み続けていれば、全身の筋力や思考力は委縮し、機能が落ちていきます。(廃用性委縮)
    仕事に意味や成長を感じながらイキイキと輝く状態からは遠ざかるのです。

    今もし体調不良なら、休むことも必要でしょう。
    けれども成長を志向するのであれば、適度な負荷をかけて体を鍛える、切磋琢磨して能力を磨く、強みを活かして挑戦するといったアプローチが必要です。(下図の上半分)

    ■「 成長モード」と「防衛モード」は別物

    「成長モード」と「防衛モード」はどちらも重要だが、アプローチが異なる。失敗防止の延長線上に成功はない。

    サッカーの攻守がいずれも重要なように、防衛モードと成長モードは状況によってどちらも重要ですが、アプローチの方法が別なのです。

    企業の健康経営で、「イキイキした職場づくり」をめざすとしながら、注力する取り組みはメタボやメンタルヘルス不調などの病気予防の施策ばかり掲げる例をよく見ます。プラスを生み出す目的に対して、マイナスを防ぐ施策を挙げており、目的と施策の方向性がずれていると思います。
    リソースが限られる中、どのモードに注力するか目的を明確にしたうえで施策を打つことが肝要です。

    ミスマッチ病

    一般にプラスを生む要素と認識される「快適さ」や「喜び」にも、不健康を引き起こす面を持つものが多々あります。
    わかりやすい例でいえば、快楽の喜びを生むお酒やたばこは不健康を招きます。このような事象は私たちの身の周りにあふれています。

    「私たちは、得てして"快適さ"を"しあわせ"と勘違いしてしまう」と、人体の進化研究の第一人者、米ハーバード大学のダニエル・リーバーマン教授は言います。
    人が求める文化的要因、例えば、おいしい加工食品を食べたい、苦労を最小限にしたい、清潔でありたい─といった欲求によって、肥満や糖尿病、骨粗しょう症、アレルギー疾患などが促進される面があります。
    狩猟採集時代以来の人体の機能に合っていない事柄(柔らかい食べ物や栄養過多、座り続ける生活など)から生じる病気のことを、リーバーマン教授は「ミスマッチ病」と名付けました。
    今日、食料不足にあえいでいる人々は8億人いる一方で、16億人以上の人々が過体重か肥満になっていると同教授は指摘します。
    世界中の人々が快適や快楽を追い求めて病気になっているのです。

    企業として何に注力するか

    記事データベースを使って実施したある調査によると、Well-beingという言葉が登場した記事の本数は2019年からの3年間で約95倍となり、広く知られる言葉となりつつあります。

    Well-beingとは読んで字の如く「良く在る状態」であり、企業によってさまざまな方向性があって良いのです。Well-beingという言葉自体は広がりつつある今、これに取り組む企業は、経営方針や経営戦略と紐づく形で「自社が注力するWell-beingはここ」という領域を社会に明示する段階に入っていると思います。「何を目的に、誰に対して、どのような領域のWell-beingに取り組むか」を定義づけ、財務的価値と併せた形でその解像度を高めるべきです。
    そうしなければ、ただ漠然と"しあわせ"を標ぼうするだけ、きれいごとを言うだけの状態に陥ってしまいます。

    丸井グループのWell-being経営は、「6つのステークホルダーの利益としあわせの調和と拡大を図る経営」です。ステークホルダーに「将来世代(若い世代のみならずまだ生まれていない未来の世代を含む)」が入っているのが特徴です。
    注力する領域はプラスの価値創造です。例えば社員のWell-beingで重視する領域は「働きがい」です。中でも「フロー状態に入れる組織づくり」に注力します。

    2021年からの5カ年の中期経営計画で、Well-beingとサステナビリティを事業目的と定めてインパクトKPI(重要業績評価指標)を設定しました。
    インパクトは、ステークホルダーのしあわせと利益の調和と拡大を意味します。
    2023年6月には、事業戦略と価値創造ストーリーをロジックモデルへ落とし込み、財務的価値と併せた形でインパクト達成への道筋を示した「IMPACTBOOK(インパクトブック)」を公開しました。

    インパクトKPIの達成に向けて、今後5年間の人的資本への投資額を650億円以上に拡大します。店舗など有形資産への投資額400億円を上回ります。
    目的は、組織の創造性を高めて社会課題を解決する企業として進化するためです。投資対効果の試算では、有形資産投資のIRR(内部収益率)10%に対し、人的資本投資のIRRは12.7%と見込んでいます。(※)

    次回は、人がしあわせを感じる要因(人の動因)にはどのような種類があるのか。その中から特に注力する領域を定めて取り組む企業の実例と共に紹介します。

    (※)人的資本投資により創出された独自の新事業・サービスによる限界利益をリターンととらえて投資対効果を算定(投資期間は2017年3月期~2021年3月期、回収期間は2017年3月期~2026年3月期)

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