Well-being
2024.3.11

「ドーパミン」が、会社を動かす

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    学習や進化、イノベーションは、多くの間違いや失敗の過程で生まれる。その過程が組織でどう認識されるかで、人の挑戦意欲や創造性は変わってくる。

    間違い=学習

    学び続ける組織を標榜する企業は多くありますが、「学ぶ」とは本質的にどういうことでしょうか。教師など外部から情報をもらう受け身のイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし脳の研究から、人間は「こうだろう」と能動的に考え、行動した結果、「それと違っていた(予測誤差)」時に学んでいるとわかってきました。

    予測誤差は「誤りフィードバック」と呼ばれ、受け取るフィードバックの質で、学習の速さが決まります。予測と違う意外性(自分のメンタルモデルによる予想に反する驚き)が生物の学習の原動力であり、意外性が大きいほど効果が上がると、脳画像化研究の第一人者であるスタニスラス・ドゥアンヌ博士は言います。同博士は、著書『脳はこうして学ぶ:学習の神経科学と教育の未来』で、膨大な実験と研究から「"間違い"と"学習"は事実上、同義語である」と述べています。

    驚きや意外性を感じた時、ドーパミンという脳の神経伝達物質が分泌されることがわかっています。これは報酬系の脳内物質として有名ですが、誤りフィードバック(驚きや意外性)に反応して探索行動を誘発する、好奇心の源泉でもあります。

    ドーパミンが出ると、動物は巣穴や縄張りの周囲を見に行き、奇異な音や状況を探索する行動を取ります。ドーパミンの分泌量が少ないと探索範囲が狭くなり、多いとその範囲が広くなる傾向があることもわかっています。動物が身の回りの空間を探索するのに対し、人間は概念世界を探索します。

    前回、組織の主体性を高める要素として、「原則ベース(Principle base)」と「期待を超える(Beyond expectation)」姿勢の推奨を挙げました。細かいルールで縛らず、大きな方向性を示して探索行動を促すのです。創造性やイノベーションを志向する組織にしたいのであれば、探索行動を個人の性格や好奇心だけに委ねるのでは不十分です。ドーパミンが出るような仕組みや制度をつくる必要があると思います。

    例えば、新しいことに挑戦して失敗した時、その結果だけを見て罰せられると、本人やそれを見ている周囲は「挑戦しない方が生存上有利だ」と感じて、防衛的な行動を取るように条件付けられていきます。逆に、理念に基づいて挑戦したプロセスを評価されるパターンで条件付けられれば、課題を発見するとドーパミン反応が出て探索し、挑戦する行動を取るようになるでしょう。

    評価制度を刷新

    丸井グループは、2017年に人事評価制度を刷新しました。個人の働く姿勢を本人・同僚・上司が評価するプロセス評価を導入し、成果については個人ではなくチームとして評価する2軸評価に変えました。経営理念に基づいて挑戦する姿勢が評価されるようにしたのです。

    このプロセス評価では、「経営理念の実現を成果につなげる力」「革新する力」「人と組織の成長を実現する力」など6つの大項目を設定。それぞれの項目で、基本的な姿勢(Meet expectation)を職務グレードごとに明文化しています。

    評価は3段階で、真ん中の「2」(Meet expectation)を基本姿勢とし、これを超えていれば「3」(Beyond expectation)、満たない場合は「1」(Not meet expectation)です。上司と部下のフィードバック面談では、2の基本姿勢をベースに3に向かうために、「あなたの強みを生かした次のステップは何ですか?」といった問いかけと対話を実施。その過程を通じて本人の主体性と挑戦意欲を喚起します。

    中国の歴史書『書経』が原典とされる「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉があります。この言葉のように、チームの成果は賞与に反映し、個人の働く姿勢を昇進・昇格に反映しています。

    実は、この新評価制度は設計から導入までに2年近くかかりました。人事部門が一方的に制度を変更するのではなく、全社員が評価の問題点を話し合い、大半がこれで良いと納得するまで議論を続けたからです。2015年に新評価制度を考える「グループ横断分科会」をスタートさせ、延べ約3,000人の社員が運用について対話しました。これにより導入時は大きな反発もなく、多くの社員が納得したうえで施行できました。

    本連載で以前紹介したように、ポジティブな行動を誘発し得る体内の物質には、ドーパミンのほかにもオキシトシン(人とのつながりや絆を深めようとする作用がある)があります。この評価制度は、ドーパミン反応とオキシトシン反応の両方を促していると言えます。

    「ドーパミン的」な探索行動や好奇心を促すとともに、競争から共創へ。つまり個人ではなくチーム全員で成果を出すべく、メンバーの強みや個性を互いに活かし合う「オキシトシン的」な行動を促しています。

    すべての職場でこうした価値観に基づく対話や評価を行うことによって、社員の挑戦意欲や尊重感を高め、創造性を高めるのが狙いです。

    実際、全社員を対象にしたWell-being調査の10年間の推移で、その効果が見て取れます(下の図)。「強みや個性を活かしてチャレンジしている」「自分が職場で尊重されている」と答えた社員の割合は、新制度を導入した2017年から2018年にかけてグッと高まっています。ただ、その後は横ばい傾向で、さらなる工夫が必要です。

    ■ 全社員Well-being指標の推移

    33_well-being01.jpg2017年に人事評価制度を刷新後、挑戦への意欲や尊重を感じる社員の割合は増加した
    (出所:丸井グループ)

    最後に、「近代のソクラテス」とも称されるフランスの哲学者アランの言葉を紹介します。「皆、楽しく間違うことを学習すべきだろう...考えるとは、誤りから誤りへと進むことである」。

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