Well-being
2023.12.22

組織の「ケイパビリティ」を高める

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「Well-being」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    変化の激しい環境で企業が価値を生み続けるのは難しい。戦略的に人や組織の「パフォーマンスケイパビリティ」を高める取り組みが必要だ。

    「P/PCバランス」

    イソップ寓話の一つに「ガチョウと黄金の卵」があります。それは、こんな話です。ある日、貧しい農夫は飼っていたガチョウの小屋で黄金の卵を見つけました。毎日同じことが起きて、農夫はそれをお金に換えます。次第に農夫はせっかちになります。1日1個しか生まれない黄金の卵が待ちきれず、腹の中の卵を一気に手に入れようと、とうとうガチョウを殺してしまったのです。

    私たちは成果というと黄金の卵だけを考えがちです。しかし、成果には二つの側面があります。結果としての黄金の卵と、それを手に入れる能力(=ガチョウ)です。ガチョウのことを気にかけず黄金の卵ばかり求めれば、やがてそれを生み出す源も失います。反対に、ガチョウの世話ばかりして黄金の卵について考えなければ、ガチョウを養う資力を失います。

    世界的ベストセラー「7つの習慣」の著者スティーブン・コヴィー氏は、このイソップ寓話を紹介したうえで、持続的に成果を出す組織の「効果性」について、「P/PCバランス」という考えを用いて説明しています。「P」は目標達成(パフォーマンス)、「PC」は目標達成能力(パフォーマンスケイパビリティ)です。「P/PCバランスは、組織で働く人や顧客との関わりにおいて特に重要である」とコヴィー氏は述べています。

    人的資本重視の流れで、新たなスキルを身に付けるリスキリング(学び直し)が注目されています。しかしスキル以上に重要なのは、それを使ってビジネスの価値をどう高めるかを考え、試行錯誤しながら実行する力です。そこに影響するのが、働く人のWell-beingです。

    客観的なスキルは同じでも、その人の熱意や誇りを高められるかどうかで、発揮される能力に違いが生じます。働く人の熱意という「PC」を高めることが「P」につながるのです。その実例を紹介します。

    異例の「三が日休業」

    丸井グループは2023年の年明け、マルイ・モディ店舗で、一部を除き、業界では異例の「正月三が日休業」を実施しました。1988年以来、実に35年ぶりのことでした。多くの商業施設が元旦だけ休む中、なぜ1年で最大級の「稼ぎ時」に三が日休業を実行したのか。

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    2023年1月1日~3日、マルイ・モディでは一部の店舗を除いて休業した。小売業界では「稼ぎ時」の正月三が日の休業は異例で、ニュースに多く取り上げられた。
    ※写真は有楽町マルイ

    理由の一つは、消費者の価値観の変化です。福袋目当てに百貨店に徹夜で行列─。そうした光景は近年少なくなりました。お正月は家族とゆっくり過ごしたいと考える人が増えています。ネット中心の買い物スタイルへの移行も、コロナ禍で加速しました。

    もう一つの理由は、働く人のWell-beingです。当社の社員も取引先さまであるテナントのスタッフも年末年始に働くのには慣れており、その覚悟もしています。しかしコロナ禍を経て、家族との時間を大切にしたいと強く願うようになったのは、消費者のみならず働く人も同じです。

    小売業のスタッフは、お正月を家族と過ごせないのが当たり前なのか。「お正月なのに、なんでママ(パパ)はおうちにいないの?」。親にそう聞く子どももいるそうです。経営層は、働く人の幸せを今一度立ち止まって考えました。

    まずは2022年に元日と翌日の2日間休業を試しました。業界では元旦のみ休業が常識の中、これだけでも異例でした。するとテナントのスタッフから感謝の声が多く挙がりました。そこでテナント約1000社に改めてアンケートを実施したところ、8割が正月休業に肯定的でした。

    その一方で、「テナント家賃の負担があるのに正月の売り上げが下がるのは不安」との声もあったため、休業日分の家賃5000万円の減額を決定。テナントと何度も対話を重ねたうえで、2023年の三が日休業に踏み切りました。各店で大きな混乱はなく、都心の店舗では大みそかに「久しぶりに正月に帰省します!」とキャリーバッグを持って現れるスタッフも多かったそうです。

    その後、各店のスタッフからは「お正月にゆっくりできたのは何十年ぶり」「リフレッシュして、初売りの仕事を頑張れた」「三が日休業がニュースに出て、友人に声をかけられた。自分の会社を誇らしく感じた」などの声が寄せられました。お客さまから「従業員の皆さん、ゆっくり休めて良かったですね」(70代女性)といった温かいお声がけがあったのも、嬉しい反響だったと言います。

    売り上げの面では、1月1日~3日の休業分は前年比8億円のマイナスでしたが、休業明けから月末までが同29億円のプラスとなり、月間では同21億円の増収となりました。

    「自分たちの幸せを考えてくれている」とスタッフのモチベーションが上がり、年明けセールやEコマースと連動したイベントなどの販売促進策を社員が積極的に発案し、関係者が一体となって実行したのです。接客の質も向上したことで、1日当たりの取扱高は前年比116%に向上しました。働く人のWell-beingという本質的なパフォーマンスケイパビリティ(PC)を高め、事業の成果、すなわちパフォーマンス(P)につなげたのです。

    「休日を増やしても利益(=P)が上がった」という短期的な結果も大事ですが、中期的により重要な要素は、今回のプロセスにあると思います。

    まず、お客さま、取引先さま、株主さま、社員など各ステークホルダーの利益と幸せを両立する価値観を、テナント1000社と共有しました。次に、それを実現する方法を皆で考え、対話を重ねました。その過程で、関係者がめざす価値観へのコミットメントとお互いの結び付きを強め、それが働く人の熱意と工夫を引き出しました。こうした試行錯誤のプロセスを通じて、組織の連帯と成果を生み出す能力(PC)を高めた点にこそ、大きな価値があると私は思います。

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