経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より
近年、「ストレスは健康に悪いと信じることが健康に悪い」ことがわかってきた。ストレスを力に換えられるかどうかで、人生のWell-beingも変わってくる。
医者は、とにかくストレスは健康に良くないと、ストレスによる心身の変調、例えば血圧の上昇や自律神経失調について教えられて職に就きます。そして「ストレスは人生のスパイスにはなるが、健康には悪い」と当たり前のように人々に教え諭します。しかし私は企業の常勤産業医として、仕事の挑戦とプレッシャーを通じて人生を豊かにする人と不調を来たす人、双方と数多く接するうちに、この考えに次第に疑問を持つようになりました。もちろん過剰なストレスは健康に有害です。
しかし多くの場合、ストレスそれ自体よりも、その人のストレスの捉え方(認知の仕方)が影響しているのではないか。そう考え、社会人大学院生になって「認知行動療法」を学び、職場で働く人々に応用するワークショップを開催しました。2010年、その効果を医学博士論文にまとめました(※)。
認知行動療法とは、物事の捉え方や行動に働きかける心理療法のことです。果たしてワークショップを実施したグループは、比較対象のグループに比べて、統計学的に有意に心の状態が改善しました。
近年「ある人たち」は、ストレスがある方が死亡リスクが低いという大規模調査の結果が示されました。米国で3万人の成人を対象に、8年間の追跡調査をした研究です。参加者には次の2つの質問をしました。
最初の質問でストレスを強く感じていた群は、追跡調査で死亡リスクが43%高い結果でした。ここまでは、ストレスは健康に悪いという社会通念と合致します。2つの質問の回答パターンを四象限に表すと下の図のようになります。AとCの群の死亡リスクは高く、BとDの群の死亡リスクは低いということです。AからDの中で、最も死亡リスクが高かったのはAの人々でした。
■ 最も死亡リスクが低いのは、どんな人?
では、最も死亡リスクが低かったのはどの象限でしょうか。死亡リスクが高い群に入っていたCの人々です。ストレスがあってもそれが害になると思っていない人たちの死亡リスクは、研究参加者の中で最も低かったのです。ストレスがあまりなかった人たちよりも低い結果でした。
※ Reiko Kojima et al. Efficacy of cognitive behavioral therapy training using brief e-mail sessions in the workplace: a controlled clinical trial. Industrial Health,48(4):495-502,2010
下の図のように、ストレスが高い群は、最も死亡リスクが高い群(A)と、最も低い群(C)に二分されたのです。死亡リスクが中くらいの位置に、ストレスが低い群(BとD)がありました。
■ ストレスの捉え方と健康リスクのイメージ
ストレスを感じていたにもかかわらず、ストレスがない人よりも健康リスクが低かったCの人々には、一体何が起こっていたのでしょうか。
ストレスの捉え方によって、身体に分泌されるホルモンが異なることが、この研究結果の理由の1つと考えられています。ホルモンとは、生理反応を調整し、生命機能を維持する働きを持つ情報伝達物質です。
以前から、ストレスがかかった時にアドレナリンというホルモンが優位に分泌されるパターンと、コルチゾールなどのステロイドホルモンが優位なパターンがあることは知られていました。前者は比較的短期のストレス時に見られ、記憶が鮮明になります。例えば、何か大きな事件(「9.11テロ」など)があった時に自分は何をしていたか、人はかなり後になっても鮮明に覚えていて説明できるものです。逆に、長期的に強いストレスにさらされて分泌されるステロイドホルモンは、人の記憶を失わせる方向に作用します。虐待を受けていた子どもはしばしば、その記憶をはっきりと思い出せなくなります。
ホルモンの影響は記憶力だけではありません。一般に「興奮してアドレナリンが出た」(アドレナリン・ラッシュ)と言うように、アドレナリンが作用すると頭の回転が良くなり、身体能力も高まります。
ストレスで分泌されるホルモンには他にも種類があります。実は、一般に「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンもストレスホルモンの一種です。オキシトシンには、人とのつながりや絆を深めようとする作用があります。誰かを支えたり、反対に支えてもらいたいと思い、人に助けを求めます。社交性が高まるのです。
こうして人とつながると、さらにオキシトシンが分泌され、身体にも感情にも好影響がもたらされます。オキシトシンには抗炎症作用があり、血管を弛緩させ、心臓の細胞の再生を促し、心臓を強くします。自然の抗炎症薬です。これが、ストレスを通じて健康になるメカニズムの一つです。ストレスをただの害だと信じていると、アドレナリンやオキシトシンではなく、ステロイドホルモンの分泌が優位になりやすいと考えられます。
ストレスの「捉え方を変える」とは、どういうことでしょうか。身体的な反応で言うと、ストレスがかかると呼吸が早くなったり、動悸がしたりします。これらをつらいものと捉える代わりに、「今、私の身体は、この状況に挑むために新鮮な酸素を取り込み、血液を体の隅々まで行き渡らせている」「自分を助けてくれているんだ」と捉えると、勇気がわいてきます。次回は精神面の捉え方を考えます。
ストレスフルな世の中を徒手空拳で闘うのか、ストレスを自分の力に換えられるかで、人生のWell-beingも変わってくると思います。最後に哲学者ニーチェの言葉を紹介します。
#丸井グループ 取締役 CWO 兼 産業医 小島玲子の日経ESG連載
— この指とーまれ! │ 丸井グループ (@maruigroup) August 8, 2023
『ストレスで、健康になる』
近年、「ストレスは健康に悪いと信じることが健康に悪い」ことがわかってきました
表の中で最も死亡リスクが高かったのはAの人々、では一番低かったのは?
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