Well-being
2023.4.7

意志力の功罪 努力は夢中に勝てない

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。 産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。 出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    意志力の「再定義」

    「意志」という言葉を辞書で引くと、「困難や反対があっても最後までやり抜こうという積極的な心の持ち方」とあります(※)。日本人の真面目さや勤勉さ、すなわち、目的に向かって努力する意志の力は、日本の経済発展の原動力となってきました。

    意志力の研究としては「マシュマロ・テスト」が有名です。米スタンフォード大学などで教鞭をとった心理学者のウォルター・ミシェル氏が1960~70年代にかけて行った自制心に関する実験です。

    当時は今より貴重だったマシュマロを幼児の目の前に置き、大人が部屋を出てから戻って来るまでの15分間、食べずに待つことができたら、ご褒美にもう1つマシュマロをもらえるというもの。我慢できずに食べてしまった子もいれば、待つことができた子もいました。待てた子どもの多くは、ただじっと耐えるのではなく、待っている間に歌を歌ったり、数を数えたりしていました。

    そしてこの実験後、20年以上にわたって被検者の追跡調査が実施されました。その結果、15分間待てた子どもは、待てなかった子どもに比べて、大学進学適性試験(SAT)の平均点が210点も高かったほか、ストレス対処能力が高く、対人関係の面でも健全に成長していました。同じく幼児期に実施される知能指数(IQ)テストよりも的確に将来の学業成績を予測したといわれます。

    家庭の経済状況が子どもの学歴に影響するという、現代では明確なバイアス要素が当時の分析では排除されていなかったとの批判はあるものの、この実験が画期的だったのは、意志力の「再定義」をしたことです。

    ミシェル氏はこう言っています。「意志力とは、歯を食いしばって誘惑に耐えることではなく、その逆である。意志力とは『耐える』のではなく、『関心を戦略的に配置する』能力のことである。満足を先延ばしできた子どもは、『自分の意志力が限られたものである』ことを理解していた」

    「好き」や「夢中」の力

    経営において人的資本が重視される中、働く人々の内発的モチベーション(心の内側から湧くやる気)の向上への関心が高まっています。内発的モチベーションのおもな源として、「ゴールリワード」、「プロセスリワード」、「自律性」と呼ばれる要素があります。

    ゴールリワードとは、ゴール(目的)達成の喜びです。先に述べた意志力は、ゴールリワードにつながります。プロセスリワードは、仕事の過程(プロセス)における、能力向上の喜びや、活動そのものの楽しさ、フロー状態(夢中になって活動に没頭している状態。喜びや学びが大きく最適経験と呼ばれる)などがこれに当たります。自律性は、自分で物事を選び取る、自己選択を指します。

    論語に、「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」という孔子の言葉があります。これは、「天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者には勝てない」という意味になります。前半部分は、努力は才能に勝るということを表しており、これはマシュマロ・テストで示される意志力が、IQテストよりも将来の学業成績を的確に反映していた結果とも符合します。後半部分は、元陸上競技選手の為末大さんが「努力は夢中に勝てない」という言葉でよく紹介されています。

    やらなければいけないからやる「努力」と、自分がやりたくてやる「夢中」。目標への努力(ゴールリワード)はとても重要ですが、最終的に勝つ、あるいは高い価値を生むのは、好きなことに夢中になって取り組む人々、つまりプロセスリワードによって行動する人々なのです。

    仕事の楽しさ、世界95位

    日本の働き方は、努力に基づく高度経済成長という過去の成功体験とも相まって、ゴールリワードにいささか偏重しているように思えます。それを示す最近の調査結果があります。公益財団法人のWell-being for Planet Earthとパーソルホールディングスが共同で実施した調査(2021年公表)です。

    世界116カ国・地域を対象に、働くことの主観的なとらえ方を調べたところ、日本では「仕事が人々の生活をより良くすることにつながっている(ゴールリワード)」と思う人の割合は116カ国・地域中5位と高い一方、「日々の仕事に、楽しみや喜びを感じている(プロセスリワード)」人の割合は95位と他国に比べてかなり低いことがわかります(下の図)。

    ESG1.jpg米ギャラップの国際世論調査に、3つの質問(図中のQ1~Q3)を追加して調べた。対象は116カ国・地域で各約1,000人、2020年2月~21年3月にかけて実施した。日本では、働くことで役に立つ感覚は高いが、日々の仕事の喜び感覚が他国に比べて低い。
    (出所:パーソルホールディングス)

    過労死が社会問題となっているこの国の根幹にある課題を見る思いがします。

    今、企業は組織の活力と創造性を高め、自ら問いを立てて前進する人の力を育むことが求められています。つらくとも我慢し、歯を食いしばって耐える「努力勤勉型」一辺倒の仕事の仕方は、労働集約型の時代にはうまく機能しても、知識創造型の時代には価値を生み出しにくいと思います。国際競争についていけなくなる可能性もあります。

    これからはプロセスリワード、つまり仕事の楽しさや喜びをもっと創り出す必要があるのではないでしょうか。

    丸井グループでは、プロセスリワードを重視して、社員の自律性を高める取り組みを行ってきました。例えば、自己申告制(取り組みたい仕事を自己表明する)に基づいて社内の部署間やグループ会社間を異動する「職種変更」などを取り入れ、「手挙げ」の文化を10年以上かけて浸透させてきたのは、本コラムでこれまで紹介した通りです。

    それでは、日々の仕事でプロセスリワードを創出するにはどうしたらよいのでしょうか。次回は、その方法を紹介します。