Well-being
2023.2.10

職場の「空気」が行動を変える 情動が人と組織のエネルギーを決める(2)

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。
産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。
出典:「日経ESG」連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より

目次

    社会や組織において、情動が人々の行動に及ぼす影響の大きさを知る必要がある。情動のしくみは悪用される危険もある反面、組織の活力を高めることもできる。

    行動に結びつく「情動記憶」

    皆さんは、はっきりと理由はわからないものの、なぜかそのお店に行きたくなるような経験はないでしょうか。今回は、無意識の「情動記憶」の話です。

    情動の記憶に関しては、スイスの心理学者クレパレード氏の逸話が有名です。彼は通常の記憶(エピソード記憶/海馬記憶)が失われた女性患者を診察する時、患者の指をピンで刺しました。数日後、再び同じ患者を診察した時、彼女は記憶障害のため以前の診察を覚えていなかったにもかかわらず、クレパレード氏を見た途端、とっさに手を引っ込めたのです。

    前回、情動とは「特定の状況、例えばある危険から遠ざかり、特定の利益になるものに近づくために脳や身体全体を調整し、調和した行動を起こさせる生き残りのメカニズム」であると述べました。彼女は以前何があったかの記憶自体は忘れていても、「ここで手を出すと危ない!」と瞬時に全身が調整され、無意識のうちに危険から遠ざかる行動を取ったのです。こうした記憶は「情動記憶」と呼ばれます。

    「人はあなたが何を言ったか忘れてしまう。人はあなたが何をしたかも忘れてしまう。しかし人は、あなたがその人をどのような気持ちにさせたかを決して忘れない」。米国の公民権運動に関わった作家マヤ・アンジェロウ氏の言葉です。前半は通常の記憶(海馬記憶)、後半は情動記憶と言えます。情動記憶はまるで脳の奥底に貼り付くようにして残り、その人の「行動」に大きく影響するのです。

    広告や宣伝は、いかに人の情動記憶に影響を与えるかを競っているともいえるでしょう。情動は人の行動に無意識のうちに大きな影響を与えるため、悪用されることもあります。最近問題になるプロパガンダやフェイクニュースは、人々の情動を操作しようとするたくらみです。

    非言語の力

    情動に影響を与える基本要素を知るうえで、面白い実験を紹介しましょう。少し古いですが、1984年に実施されたレーガン氏対モンデール氏の米大統領選での実験が大規模で有名です。

    まず、選挙前に米国の3つの主要テレビ局(CBS、NBC、ABC)のニュースキャスターが候補者について報道する映像の音声を消して、その「表情のみ」を被験者に見せました。そして、ニュースキャスターの表情が消極的か、それとも積極的で好意的か、21段階で点数をつけてもらいました。

    その結果、CBSとNBCのキャスターはレーガン氏とモンデール氏の2人の候補者について話すときの印象に大差はありませんでしたが、ABCのキャスターは違いました。レーガン氏について話す時の方が積極的で好意的な表情だったと、被験者は評価したのです。

    さて、選挙時にクリーブランド市の住民に、誰に投票したかと併せて普段よく見ているテレビ局について聞いたところ、レーガン氏に投票した人の割合がABCの視聴者がCBSやNBCの視聴者と比べて有意に高くなりました。

    この結果について、普段見ているニュースキャスターの「表情」が、人々の「行動(投票)」に、無意識のうちに影響を与えたと考察されています。語り手の表情やしぐさは、受け手の情動に多大な影響力があり、行動を左右するのです。

    職場の「空気」

    情動の特徴は、人から人に伝播することです。職場にポジティブな人がいるとまわりが明るくなるのはわかりやすい例ですが、感情の伝播のみならず、呼吸や心拍など、より原始的なレベルでも伝播します。

    私はこれまで長年産業医をする中で、復職面談に同席した上司の情動が社員に伝播する様子を、数多く見てきました。

    言葉では「〇〇さんの体調が良くなって安心したよ」と言いながら、頻繁にスマートフォンを見るなどせわしなく動く上司の横で、自分も動きがせわしくなって焦り出す社員。逆に、冷静かつ穏やかに対応する上司のゆっくりとした呼吸のペースに次第に同調し、落ち着いていく社員もいます。

    情動の伝播には、ミラーニューロンと呼ばれる脳の神経が関係すると考えられています。神経科学者のジャコモ・リゾラッティ氏らが発見した神経細胞で、無意識のうちに他者の様子を察知し、あたかも自身のものであるかのように「共鳴する」神経細胞です。他者に共鳴した行動が取れると集団での生存能力が高まるため備わった能力と推察されます。

    仕事において言葉や数字は重要ですが、人の情動を喚起して行動に影響を与えるには、表情や話し方などの非言語的要素やストーリーの力が大きいのです。

    丸井グループでは、役員とマネジャー対象の「レジリエンスプログラム」の一部として情動に関する知見を詳しく学び、組織でアクションを実践する取り組みを6年前から続けています。

    マネジャーは、例えば「数字だけでなくストーリーを用いて語りかける」「チームのポジティブ情動を喚起する」「1日1つ部下の強みを見つける」といったアクションプランを立てて、 実践の有無を記録します。1年間のプログラムを通じてアクションを続け、互いに実践状況や成果を発表し合うのです。

    マネジャーがアクションをしっかりと継続した事業所では、取り組み前に比べて職場の「エンゲージメントサーベイ」の結果が改善しているのがわかります(下の図)。

    ■ 情動を高めるアクションなどによって職場のエンゲージメントがアップ

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    事業所トップが各チームの情動を高めるアクションなどを継続して実施した事業所では、1年後にエンゲージメントサーベイの点数がアップした
    (出所:丸井グループ)

    最後に、世界的な経営学者スマントラ・ゴシャール氏の言葉を紹介します。「社員こそ、企業の競争優位の源泉である。しかしそれは、そのまま真実とはなり得ない。真の競争優位の源は、職場の空気(Smell of the place)にあるのだ。社員の行動は、職場の空気を変えることにより、徹底的に変えることができる。そして、その空気を創るのはまぎれもなく、マネジャーの重要な任務なのだ」。

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