Well-being
2021.11.4

意識を浪費する文化にメス 目標や願望を実現できる社会を創る

経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康でイキイキと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルネス経営とは何か。 「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルネス経営のススメ」というテーマで、産業医と執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島 玲子が解説します。
出典:「日経ESG」2021年5月号 連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルネス経営のススメ」より

目次

    多くの組織で、従業員の意識は権威ある人への忖度(そんたく)や、組織内の根回しに使われている。意識を目的に向け、自分の本質的な願望を実現できる文化を創ることが、しあわせな社会の源である。

    「成功に必要なことをあえて一つ述べるとすれば、それは『常に目標や願望について考える』ということに尽きると思います。なぜなら私たちの人生は、私たちの『思考』でつくられているからです」。万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンの言葉です。

    人間の意識にはキャパシティーがあります。有限な「意識のハコ」に本当の願望を入れるのか、人からどう見られるかを気にする思考を入れるのかは、自分次第です。企業で長く産業医をしていると、「私はあの上司から嫌われているのではないか」といった思考でハコを埋めてしまい、意識を浪費する人を多く見かけます。

    世界的な心理学者M・チクセントミハイによれば、自分を防衛する意識には生物学的な防衛と、社会的立場を守る防衛の大きく2種類あります。後者の代表的なものが「自意識」です。自分が他人にどう見られているかを気にすることです。ロバート・フリッツ*1は、「自意識が邪魔をしなくなれば、人々は本当に大切なことにフォーカスして人生を送ることができる」と述べています。

    意識の浪費はダブルパンチ

    意識のハコを何で埋めるかには、文化的な要素も関係します。米国の文化人類学者エドワード・ホールは、「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」の存在を指摘しました。コンテクストには文脈や背景という意味があります。

    ハイコンテクスト文化とは、話す言葉に行間の意味や裏の意図が含まれているなど、言外でコミュニケーションを取る文化のことです。これに対して、言葉そのものによってコミュニケーションを取る文化が、ローコンテクスト文化です。日本は「空気を読む」ことが重視されるハイコンテクスト文化です。多くを語らず、俳句や茶道など、そぎ落とされた美と調和を生み出します。

    しかし複雑な社会では、他人が口に出さない裏の意図や表情を読むことに意識を浪費することにもなります。物事一つ決めるにも、権威者に忖度したり、組織内で根回ししたりする手間がかかります。その結果、意思決定にスピードを要する現代において、米国のようなローコンテクスト文化の国に遅れを取ってしまうのです。

    こうした意識の浪費は精神的な負担も強いるため、メンタル不調を引き起こす場合もあります。毎日、周囲の人の気持ちをうかがうことに意識を浪費し、振り回されてしまうのです。全国の産業医500人のアンケート調査*2によると、働く人のメンタル不調の原因第1位は「職場の人間関係」でした。自意識とハイコンテクスト文化のダブルパンチで意識のハコを埋めてしまえば、本当に達成したい目的に振り向けるための意識は、わずかしか残りません。

    それではこのダブルパンチを、どう乗り越えればよいのでしょうか。

    目的を「言葉」にする

    意識を浪費しないためには、他人の言葉の裏の意図ではなく「言ったこと」「書いたこと」に意識を集中できる構造をつくることがポイントです。最近、生産性の高い組織の特徴として「心理的安全性」*3が注目されています。ただ、もともと発言しない人が多い日本の文化では、安心して発言できる雰囲気をつくるだけでは不十分だと思います。

    言葉で意思を伝えることで回る仕組みを、意図的につくる必要があります。人は自ら述べた内容に自分自身をコミットさせる特性があります。言葉にして対話を重ねるほど、そのことを大事に思うようになるのです。

    自意識(自分がどう見られるか)については、モチベーション理論の大家ゲイリー・レイサムをはじめ多くの研究者が、目的と学習への意識の転換が必要と述べています。

    つまり意識のベクトルを自分(内)ではなく社会(外)の方に向け、「どんな社会にしたいか」「そのために自分は何ができるか」という目的意識に、そして「少しでも進歩するにはどうするか」という学習意識に転換するのです。企業のミッションに基づいた自分の意思表明を求められると、自然に意識を内ではなく外に向けられます。

    手を挙げなければ始まらない

    丸井グループの特徴の一つに、何をするにも「自ら手を挙げる」ことが求められる社内の仕組みがあります。例えば、昇進・昇格も、チャレンジするための条件はありますが、本人が手を挙げ、自分の将来の願望や目的について意思を表明しなければ選抜対象にもなりません。

    社内プロジェクトや社外のビジネススクールなどの成長支援も同じです。企業ミッションを理解したうえで、自分はそれに参加して何をしたいかという目的意識を小論文に書き、自ら意思を表明して初めて、選抜対象になります。

    「中期経営推進会議」もそうです(下の写真)。従来は幹部社員のみでしたが、今では手を挙げた新入社員も参加しています。裏を返せば、自分で目的意識を明確にして手を挙げなければ、何も始まらない仕組みなのです。

    ■「 手挙げ」式を取り入れたことで会議が活性化した

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    2008年当時の中期経営推進会

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    現在の中期経営推進会議

    従来は幹部社員のみだった中期経営推進会議(上)は、全社員を対象とした「手挙げ」に基づく選抜方式にしてから活性化した。写真は2018年5月に撮影したもの(中、下)。コロナ禍の現在はリアルとオンラインを併用して実施している。(写真:丸井グループ)

     

    これはまさしくニュートンの言葉「成功に必要なことをあえてひとつ述べるとすれば、それは『常に目標や願望について考える』ことに尽きると思います」という意識の使い方を導く文化だと、私は思います。

    *1 『学習する組織』の著者ピーター・センゲのメンターとしても有名な経営コンサルタント
    *2 産業保健支援サービスなどを手掛けるMediplat(東京都中央区)による2019年の調査
    *3 「皆が気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のこと。『恐れのない組織(』A・C・エドモンドソン著)による定義