経営に欠かせない要素として「ウェルネス」や「ウェルビーイング」が注目されています。不確実性が高まっている世の中で企業が生き抜くためには、心身ともに健康で生き生きと働く社員を増やすことが大切です。社員の病気やケガを予防するだけにとどまらず、創造性を引き出し、生産性を高めるウェルビーイング経営とは何か。
産業医と取締役執行役員の2つの顔を持つ丸井グループの小島玲子氏が解説します。
出典:「日経ESG」2022年4月号 連載「『しあわせ』が企業価値を高める ウェルビーイング経営のススメ」より
『サピエンス全史』でユヴァル・ノア・ハラリ氏が述べているように、社会は信用と信頼によって発展してきました。1602年にオランダで設立された東インド会社は、人々が信用に基づき共同出資して利益を分配する仕組みをつくりました。これが株式会社の礎となり、経済を飛躍的に発展させました。現在に至るまで、信用は社会が発展する鍵となってきました。
制度や仕組みの信用だけでなく、人間関係上の信頼も重要です。英オックスフォード大学名誉フェローで世界的な科学・経済啓蒙家のマット・リドレー氏は著書『繁栄』において、人々が互いに信頼し合うほど、社会は繁栄すると述べました。ある国の中で、他者が信頼できると考える人の割合が15%増えると、その後、毎年1人当たりの所得が1%ずつ増え続けるとの調査分析を紹介しています(この調査では他者を信頼する人の割合はノルウェー65%、ペルー5%でした)。
人々が協力し合う制度や仕組みの下では「交換」が盛んになり、そうでない仕組みの下では「没収」や「工作」が横行するのです。不実な権力者が表れるとしばしば、社会に不信が渦巻くこともあります。しかし人類繁栄の歴史は大きく見ると、双方が恩恵を得るノン・ゼロサム取引の発見に尽きると、米国のジャーナリストであるロバート・ライト氏は述べています。
右肩上がりの成長をめざすのではない成熟経済においても、他者との信頼関係は人々が心豊かに暮らせる世界を創り、価値を生み出す基盤になります。
米国の組織心理学者アダム・グラント氏は、自分の知恵やアイデアなどを積極的に他者と分かち合おうとするギバー(giver:与えることを優先する人)と、テイカー(taker:受け取ることを優先する人)では、長期的に見ると利他志向型のギバーが社会的に最も成功すると述べています。ただし、ただ与えるだけではなく、こうした人々は戦略的であり、常に有意義な多様性を求め、搾取されていると感じたら関係を断つ賢さも持ち合わせています。他者利益と自己利益の両方に関心を持ち、他者に多くを与えることによって、自分も中長期的に利益を得るのです。
同氏は著書『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』で、ギバーの研究を紹介しています。
ベルギーで実施された600人以上の医学生の調査では、ギバーの学生たちは入学した最初の年次は成績が振るいませんでしたが、2年次には他の学生の成績をやや上回りました。6年次にはギバーがかなり高い成績を修め、最終学年の7年次には将来を嘱望される医師の卵として躍進していました。進級するにつれ、教室の授業ではなく実習や患者の治療などチームワークやサービスによって成績が決まるようになり、人と協力して患者を気遣うことの得意なギバーが有利になったのです。
それでは、ビジネスの世界で利他志向のギバーになり、中長期的に自らも共に利を得るとは、どういうことでしょうか。
長引くコロナ禍の影響で、全国の商業施設におけるテナントの平均空室率は、コロナ前の5%(2020年3月)から8%(2021年12月)と、売場で閉鎖される面積は増える傾向にあります(下の図)。ところが丸井の店舗はコロナ前と変わらず、現在、空室率3%台をキープしています。
※空室率:売り場面積のうち閉鎖区画面積の割合 ※全国SCはSCデータベース等より当社推計
コロナ禍の影響で、全国の商業施設(SC)の空室率(売り場面積のうち閉鎖している区画面積の割合)は増加しているが、丸井の空室率は低く抑えられている
(出所:丸井グループ)
丸井グループは2020年4月、緊急事態宣言を受けて全店舗を休業しました。当初は、休業がいつまで続くかの見通しも立ちませんでした。テナントなど約800社ある取引先の8割は中小企業で、存続が危うい状況となりました。しかし困難な時こそ、「共創」の理念に立ち返るべきではないかと経営層は議論しました。
そして4月早々に「新型コロナウイルスを乗り越えるためのパートナーシップ強化策」を打ち出し、休業期間中のテナント家賃の全額免除を決めました。2カ月後に営業は再開しましたが、コロナ禍は続きます。取引先が手元の資金を確保できるように、その後も希望に応じて、600区画以上の敷金を返却しました。
いずれも短期的に大きな損失が生じる決断です。しかし短期的に痛みがあっても、取引先との信頼を築くことによる中長期的な成長の可能性を追求する道を選択したのです。
コロナ禍の事業者に対する政府の支援給付金申請に関する説明書は、100ページにも及ぶのをご存知でしょうか。事業者は期限内にこれを読み込み、大量の書類を準備して各々提出しなければなりません。また自治体による協力金制度は、地域によって内容が異なり、書類の様式もバラバラです。当然、少しでも記載に不備があれば協力金は出ません。給付金や協力金の申請手続きに難渋した全国の中小企業は数知れません。
そこで丸井グループは、共創理念をさらなる行動に移すべく、取引先企業の申請手続きを支援することにしました。本社に、「支援給付金サポートダイヤル」を設置。テナントの希望に応じて、これまでに240区画の政府給付金手続きを代行支援しました。自治体の協力金申請においては、希望するテナント1300区画の申請を取りまとめて一括申請しました。きめ細かい対応は取引先から大いに感謝され、「共創とは、言葉だけではないのですね」「これからも一緒にやっていきたい」という声が、担当部門に届いているそうです。
「信用は、お客さまと共につくるもの」。丸井グループ創業者、青井忠治氏の言葉です。これに由来するのが、現在の「共創」の理念です。コロナ禍においても、丸井の店舗が空室率を低く保っている理由は複数あるでしょうが、パートナーシップ強化策による取引先との信頼関係の向上が影響しているのは間違いありません。
苦しい時こそ、理念の本気度が問われる。そして他者との信頼を築くことで、中長期的な成長の道が拓けていく。そう感じた出来事です。
#丸井グループ 取締役 CWO 兼 産業医でもある小島玲子の日経ESG連載企画第18弾!
— この指とーまれ! │ 丸井グループ (@maruigroup) December 8, 2022
苦しい時こそ、信頼を築く
コロナ禍での「休業期間中のテナント家賃の全額免除」は、テナントさまと信頼関係を築くことが今後の成長につながる道だと判断したから#ウェルビーイングhttps://t.co/Fuf9J3xZ0V