第2回は、国内外で人権問題に幅広く取り組まれている国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井 香苗さんに、世界と比較した日本の人権状況や、コロナ禍を経て変化したこと、日本のダイバーシティ&インクルージョン(以下:D&I)が次のステップへ行くためのヒントなどをうかがいます。
――土井さんは現在、日本代表として、日本の国内や外交政策の中で人権が優先課題となるよう、政府に働きかけるアドボカシー担当をしていらっしゃいますが、その活動にいたるまでの経緯を教えてください。
土井:高校1年生のころに『人間の大地』*¹という本を読み、難民のために何かをやりたい、難民の背景にある戦争や南北問題などを解決したいと思ったのがきっかけです。ただ、私の親は「難民キャンプに行きたい」というようなことを許してくれる親ではなく、むしろ大学生になってからは司法試験を勉強しなさい、という態度でした。そこで大学生時代に家出を決行し、司法試験合格と同時に夢だった難民キャンプ行きを実現しました。具体的には、大学4年生の時に1年間、晴れてアフリカのエリトリアという国に行き、法律づくりを手伝うボランティアに取り組みました。日本に戻ってからは10年ほど離婚や企業法務などの一般的な弁護士業務を行いつつ、アフター5の時間を難民の弁護などに費やしていました。
ただ、やはり24時間人権問題に取り組みたいと思い、2005年にニューヨークへ行って国際法を学ぶとともに、ニューヨークに本部を置く国際的なNGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」で1年間活動しました。そこでヒューマン・ライツ・ウォッチにほれ込んでしまい、2009年に「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の事務所を東京に立ち上げました。
――土井さんがそこまでして人権にかかわっていく目的や目標は、どのようなことだったのですか?
土井:基本は好きだから、楽しいからやっているのですが、目標はより良い社会をつくることです。日本はもちろん、世界でそうした社会をつくりたいのです。
――人権に対する課題は、世界と日本では異なると思いますが、日本はどこに課題があるのでしょうか?
土井:グローバルな視点で見れば、日本の人権状況は比較的良いと思います。その大きな理由の一つは、戦争がないこと。もう一つは独裁でないこと。
私見ですが、人権問題は三つに分けられると思っていて、一つ目が「戦争の中での民間人の保護」、二つ目が「独裁」、三つ目が「マイノリティの権利」です。
日本は前者二つがないので、それだけで順位は上がると思います。ただ、日本は人権意識は低いと思います。マイノリティ問題というのは数が少ないからマイノリティなのであって、「私の人権が侵害された」と思う人がそもそも少ないのです。それに加え、日本には前者2つがないので、人権が空気みたいなもので、多くの人が人権に対してそもそも必要かどうかなどを考えたことがない、ある意味しあわせな状況だと思います。
ただし、そういうしあわせな状況の国というのは日本のほかにもたくさんあり、いわゆる先進国と呼ばれている国は大体そうなのですが、そのような国が皆人権に意識が向いていないかというと、そうでもありません。自分が被害を受けているから、ひどい国だから意識が高いということではなく、自分はしあわせなのだけれども他者のしあわせのことも考え、そして行動を起こせる国、そんな人権意識が高い社会をめざしたいと思っています。
――D&Iや人権に対する課題解決をする際の目標は、「すべての人がしあわせで暮らしやすくなる社会の実現」だと考えています。ですが、具体的なアクションとなると、どうしても対象を「障がい者」や「LGBTQ」「外国人」といったように、カテゴライズせざるを得ない場合も多い気がします。カテゴライズしないアクションの方法はあるのでしょうか?
土井:なるほど、そうですね。両方正しいと思います。ただ、カテゴライズしてアクションする場合にも、すべての人に尊厳があることが基本という認識から出発していることが大事ですよね。
ニューヨークに留学した時に、人権問題の世界的権威の先生の授業を受けたのですが、最初に「『すべての人の人権を守る』のだから、例えば死刑に処せられるような重罪を犯した人にも、人間だから人権はある」と言われ、まず死刑について学びました。良い人だから人権があるのではなく、例え悪い人でも人間であれば人権は持っているのであり、悪い人だから死んでもいい(生きる権利がない)というわけではないという洗礼を受けました。
なので、人権活動家として、社会から忌み嫌われている人も含め「すべての人」に人権があるという考え方はすごく大事だと思います。誰かを殺すこと自体は許されないですが、人を殺めた人であっても人権(=人間であれば誰もが生まれながらに持つ最低限の権利)があるわけです。人権にもさまざまなものがありますが、その中核の一つが差別されない権利です。
――差別されない権利はとても重要ですよね。差別しているつもりはなくても、差別されない権利を社会から与えることができていないというのもあると思います。自分が社会から「差別されていない」という感覚は、個人で異なりますよね。
土井:一人ひとり状況も感じ方も違います。誰もが差別されない権利を実現するために、具体的にどうしたら良いのか?と考える場合に、一人ひとりが抱えている課題によって対象を分けて考えるのは合理的だと思いますが、そのベースに「すべての人に平等に」という考えがあります。そのうえで、対象を分けてアクションしていると認識するべきだと思います。そして、差別というのは、差別する側とされる側とで見えている風景が全然違います。差別される側の経験を理解することがとても重要だと思います。
――そうですよね。
Withコロナになって、日本でも人権に対する意識が少しずつ変わっていると感じています。土井さんは、コロナを機に変化したことや新しく課題に感じていることはありますか?
土井:日本は世界と比べて状況がそこまで悪くないので、世界と日本で変化したことは少し異なると思っています。特にコロナの影響が大きい国では、もともとあった格差が大幅に広がり、「Black lives Matter*²」の怒りは、黒人の方が多く失業するなどの、不の影響を大きく受けて拡大したという側面もあると思います。
日本でも程度の差はありますが、マイノリティがより大きな被害を受けるという同じような状況が起こっていると感じています。例えば、非正規雇用の人たちの中には、マイノリティの方も多く含まれていますよね。また、学校が3カ月ほど閉鎖となった時、ほとんどの子どもたちはオンライン教育も受けられませんでした。困った時に大人は声を上げられますが、子どもは文句を言えません。ほかにも、ステイホーム中の家事なども女性がより多く負担しているなど、コロナ禍では、声を上げにくいマイノリティの人たちが、より多くの影響を受けていると思います。
ただ一方で、「社会のために何かできないか」とか、「家族や友だちが大事」ということに立ち返る時間ができたり、人々の意識が「世の中をより良くしたい」という方に向いたと思っています。
――人権問題の視点から見た時に、企業は現在どういう役割を果たしていますか。また、どんな役割を果たしてほしいですか?
土井:私からすると「D&I」はビジネス界から生まれた用語に思います。法律や人権の世界では、「D&I」というよりも、「イクオリティ(平等)」を課題として認識してきました。ビジネスは利益を出すことが使命なので、企業に人権のリーダーを期待することは過度であると感じています。ですので企業には、人権のムーブメントにとって力のある、アライ(仲間・支援者)としての役割を期待しています。特にLGBTQに関して、日本のビジネス界はアライの力をたくさん発揮してくださっていて本当にありがたいと思っています。企業の義務を超えたLGBTQ支援をしてくれている会社も少なくなく、感謝しています。
ただ一方で、私たちは、やる気のある企業だけでなく、すべての企業がミニマムスタンダードとして人権を尊重する社会になってほしいと思っています。特別な想いのない人たちも含めて、皆でやるようなルール化を求めたいですね。私も具体的な活動として、LGBT平等法の制定を求める活動(https://equalityactjapan.org/)を始めたところです。
――D&Iに取り組むことによって企業業績が向上することが明確になれば、だんだんそれが社会のスタンダードになってくると思います。企業視点での取り組みを強化することこそが社会を変えていくと思う一方で、推進するためにはルール化も重要だと思います。
土井:例えば、男女雇用機会均等法による差別禁止が義務化されたのがちょうど25年くらい前なのですが、それによって人々の感覚も変わりました。「女性は30歳で定年」などという企業もありましたが、今ではありえないですよね。このように、制度が変われば人々の意識も変わると思います。政府も、国民の意見に敏感ですので、マイノリティ側の声を企業の皆さんが一緒に大きくしてくださるのは、すごくありがたく、そのようにサポートしてもらえたらうれしいですね。
――サポートをする時に皆を巻き込んで、もっと大きな動きにするにはどうすれば良いのでしょうか。
土井:例えば法律をつくろうとする時、政治家はそれがさまざまな人からの支持を受けているかどうかを考えます。こうした時、私たちも声を上げますが、企業から届く声はより大きいと思います。例えば、丸井グループが突き抜けて、「LGBTQが平等なのっていいじゃん!」というメッセージを出したらすごくかっこいいし、一般の消費者から見ても、すごく訴求力があると思います。
――「突き抜ける」って良いですね!
企業やNPO、教育機関にそれぞれ役割があるので、一つの企業ですべてをやろうと思わず、どう連携していくかということがインクルージョンを進めていくうえでとても大切だと思いました。
土井:皆それぞれ強みが違うので、もし一緒にやれたら、すごく大きなインパクトを与えることができると思います。
――それこそダイバーシティですよね。それぞれの役割や得意なこと、達成したい成果が異なっていても、一緒に同じミッションに向かって取り組むことで、結果的に成果につながると良いですよね。
土井:そうですね。一緒に取り組む「仲間」みたいに思っていただけたらありがたいです。さらに皆がそれぞれ良いと思ったことに向けて実際に行動していくような社会になるとより良いと思います。
――前回の記事にご登場いただいた松中さんから「地球上にはLGBTQが宗教的、文化的に許されない地域もある中で、そうした地域の文化や宗教と、LGBTQの人権の両立について、どうお考えになっているかをおうかがいしたいです。」とご質問をいただいています。
土井:さすが松中さん。人権の歴史というのは、人種や宗教による差別の禁止から始まったといっても過言ではないかもしれないくらいで、宗教の自由や、宗教による差別の禁止というのはとても大事です。ただ、宗教による差別は禁止、「何を信じようと自由」(=宗教の自由)というのは人権なのですが、「その宗教の教義や、守らなければならないことを強要する」というのは人権ではないのです。なので、誰がどんな宗教を信じようとその自由は尊重されるのですが、それでも「LGBTQの権利はあるのです」というのが回答になります。
*1 『人間の大地』|犬養 道子(著)|中央公論社|1983年
*2 アフリカ系アメリカ人に対する警察の行為をきっかけにアメリカで始まった、人種差別抗議運動
―次回ゲストへつなぐラリー