すべての人が「しあわせ」を感じられるインクルーシブで豊かな社会の実現に向けて、各界のリーダーから提言をいただく新連載コンテンツ「Inclusion Rally」。第1回は前・後編の2回に分けて、ユニバーサルデザインの企画設計等を手がける(株)ミライロの垣内 俊哉氏、日本ブラインドサッカー協会の松崎 英吾氏、LGBTQ社会運動家の松中 権氏に、Withコロナ時代に見えてきた課題をそれぞれの視点から語り合っていただきます。前編は、「デジタル」と「将来世代」がテーマです。
――2020年は新型コロナウイルスの感染拡大という世界的な大事件が発生しました。Withコロナの新たな社会状況のもと、皆さんのダイバーシティ推進への取り組みはどんな影響を受けているのでしょうか。
垣内:僕の会社には、視覚障がいや聴覚障がいのある社員がいます。彼らにとって今のリモートワークの仕組みは不具合が多いのです。とはいえ、社内では議事録や代替テキストでの情報保障が徹底できるようになりましたので、今後はこの経験をいろいろな企業さんに伝えていきたいと思います。オフィスをバリアフリー化するより、お金をかけずにできることなので。障がい者雇用の幅がこれで広がることを期待しています。
一方で、コロナ禍への対応の中で取り組みが加速した部分が、世の中にはたくさんあると思うのです。いろいろな記者会見でも手話通訳をつけることが一般的になりましたし、店舗で接客する人も、聴覚障がいのあるお客さまを意識して透明マスクを着用するようになっています。そういう意味では、このコロナ禍によって、多様性への配慮の意識は高まった気がします。
松崎:日本ブラインドサッカー協会の強みは、共体験や相互理解促進のためのリアルな場の提供にあります。ただ今回、それが機能しなくなったわけで、自分たちに今何ができるのかということを見つめ直している感じですね。
今の世の中の空気は、視覚障がい者が買い物に出にくいところがあります。お店では品物に触ったらもう買うしかないといった感じで値札の確認もしにくいし、ほかのお客さまとソーシャルディスタンスを守れなかったらどうしよう、など。周囲からも弱視の人はわかりにくいですし。
人の心は、そう簡単に変われないですよね。やはり自分と誰かの間に区別を設けたいですし、スペシャルな人間でいたいという根源的な欲求があります。でも同時に、皆と同じ喜びを分かち合うしあわせも感じたい。こういう矛盾した気持ちを人々が抱えている中、今の世界は利己的で荒れやすい方向に振れている気がします。
ただ、こういう世の中がずっと続くわけではないと思います。この暗いトンネルを抜けた先には、共体験の場のようなものの価値がより光り輝いて見えてくるはずです。今はそのための我慢の時という気がしています。
松中:「東京レインボープライド」というパレードが毎年ゴールデンウイークに開催されており、参加者は毎年増えていて、2019年は沿道も含め20万人が参加しました。この2020年は中止する代わりにオンラインで2日間イベントを行ったのですが、なんと参加者が44万人と倍増したのです。
パレードに参加したいけれど、自分のセクシャリティが周囲にバレたら怖いという人がそれだけ多いと思われます。その点、オンラインだと自分の姿を見られる心配がありません。今回は、特に首都圏以外のエリアや海外の人たちと新たな出会いがありました。
これまで東京など大都市での活動が多かったのですが、LGBTQの問題に関しては東京から離れるほど保守的だったりします。一番大変な思いをしている人たちとつながることができたのは、大きな変化だと感じますね。
松中:Withコロナの時代になって、リアルの場が持つ意味を、あらためて自分たちの中で掘り下げていくことが重要かと思います。
もともとユース世代は、家や学校以外に自分で選べる居場所があまりありません。しかも、このステイホームの状況です。僕らの緊急アンケートでは、ユースのLGBTQの4割が、セクシャリティについて安心して話せる「人」や「場」とのつながりが絶たれていると回答しています。
――Withコロナでデジタルとリアル双方の「場」がシームレスにつながっている印象を受けます。例えば、今年オンラインのパレードに初参加した人たちから、「来年は本物のパレードに行ってみたい」という声が上がったりしていますよね。
垣内:僕は慶應義塾大学で講義しているのですが、いつも教室の収容人数の関係で、200人限定でやっていました。しかし先日、講義をオンラインで実施したら、800人も参加したのです。いつもは質問の手が挙がらないのに、質問をTwitterで受け付けたら、もう一気に来ます。その一方で、「直接お話を聞きたかった」という声も非常に多かったので、やはりどちらも必要だという感じはしますね。
ですが、将来的にVRなどが発達すると、リアルの場もあまりいらなくなるという気もしています。今の技術水準では、リアルでないと体験の場が提供できないというだけなのではないかと。オンラインというものは、もともと人々の身体的自由を拡張する性質があり、サービスが進めば進むほど障がい者は生活しやすくなるはずです。
ただ、障がい者が外へ出ていかないと、社会との相互理解が進まない面があります。鉄道会社にアンケートを取ったところ、明らかに障がい者の外出機会が減っていることがわかりました。そうなると、街中の人々が障がい者を意識しなくなってしまうのです。
松崎:スポーツ界でもデジタルシフトが急激に進んでいます。今までもその傾向がありましたが、この状況で圧倒的な「速さ」と「強度」が増しました。参入する企業も増えています。劇的に変わっていくと思いますね。
ただ、スポーツは、「する」「見る」「支える」「使う」の4要素で成り立っています。「見る」にしてもそうですが、僕ら人間には体が勝手にガッツポーズしたくなる瞬間、鳥肌が立ってハイタッチしたくなる瞬間、気づいたら誰かと抱き合っていたい瞬間があるわけです。そういったことはスポーツならではの醍醐味で、オンラインでは代替できないと思います。負けた悔しさに涙を流すことなど、日々の仕事ではなかなかできないじゃないですか。
デジタルシフトと、生身の人間が感じる細胞レベルの喜怒哀楽。それらが融合する形が、きっとあるだろうとは思いますね。
松中:デジタルの場で得られる情報は、「こういうものがほしい」という目的意識に沿って切り取られた世界ですよね。ネットサーフィンにしても、出てくる情報はユーザーに合わせてカスタマイズされているわけです。一方で、リアルの世界では、思いがけない人やモノとの出会いから、これまでにない刺激をもらえたりします。松崎さんがおっしゃるようなパッションの共有に加えて、そういう偶発性の部分が、リアルの大切な役割じゃないかと思います。
――ダイバーシティ推進に向けて、将来世代へのアプローチは不可欠だと思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。
松中:先ほどの緊急アンケートでも浮かび上がってきた課題ですが、学校は「他人と違う」ことがポジティブにとらえられない世界ですよね。異質な個性より、皆と同質で相対的に優秀な存在のほうが安心できますし、それが自分のありたい姿になってしまっていると思います。
でも社会に出ると、今や「一人ひとりの個性が大切」と言われる。学校という同調圧力の強い世界から、今の社会に出た時のギャップはかなりあるのではないかと思います。
松崎:おっしゃる通りだと思います。特に視覚障がい者の学校は、寮生活のところが多く、学校の論理やルールがすべてだったりします。だからこそ、ピッチの中ではこういったしがらみのようなものを乗り越えて、自由を感じてほしいと思います。
スポーツは、もちろん良いところもたくさんありますが、副作用もたくさんあります。国威発揚や人を分断するツールにもなりえますし、勝利のために選手の個性を抑圧することも簡単にできてしまう。そういう意味で今のお話は、僕らも宿題をもらった感じですね。
垣内:僕は特別支援学校には行かず、普通学校に通って、案の定いじめにも遭いました。僕は耐えられたから良かったものの、耐えることでしか社会への準備ができないのはやはり良くない。正しい教育の場、指導者が必要だと思いますね。
――教育の場と社会・企業との連携ができていない中、私たちはどう動いていけばいいのでしょうか。
垣内:サードプレイス*1といった、障がいのある子といわゆる健常者の子が共有できる場をつくるのも一つの手ではないかと思います。僕自身の経験で思い出深いのは、中学校の時の運動会です。毎年参加するリレーには、僕は5メートルだけ走るというルールがありました。自分だけ目立ってしまうことが嫌で、「もう出たくないです」と言ったら、皆が普通に走る部門と並んで、皆が車いすに乗る「車いす部門」ができたのです。
普通に走る部門では僕は相変わらずでしたが、車いす部門では誰よりもダントツで速くてアンカーを務めました。あれで僕は自分の尊厳を保てましたし、皆はやっと「垣内ヤバイ」「車いす、すごい」と言ってくれました。こういうことを学べる場をつくってあげることが、大人が将来世代にできることだと思うのです。
松崎:僕ら大人の責任は、物心ついたときからLGBTQや障がい者との共存を自然に受け入れている「ダイバーシティ・ネイティブ世代」を育てていくことだと思うのです。気づいたら、「え、お父さんの時代ってそんなだったの?」という感じで。でも、そのための環境を前もって準備することは彼ら彼女らにはできません。大人がいろいろな方面から仕掛けを行うことで、社会の多様性が底上げされ、大きな変化が起きてくるのではないでしょうか。
垣内:最高のパワーワードですね。いい見出しになります、「ダイバーシティ・ネイティブ」。
松中:さっき自分でも言ったのですが、「学校から社会に出る」とかいうじゃないですか。でも、本当は生まれたらもうそこが社会なので、学生と社会人という切り分け自体が、大人が勝手に決めているという感じもするのです。
若い人が企業・社会に対してアクションを起こすのは、経済的にもけっこう大変です。ということは、企業・社会の側が起こすしかない。採用の仕方や、僕らの働き方そのものが変わらなければならないと思うのです。
*1 自宅(ファーストプレイス)や職場・学校(セカンドプレイス)とは別の、個人としてくつろげる第三の居場所
(後編は10月20日(火)公開予定)
対談日:2020年7月17日