馬田 隆明(著)
本書は非営利・独立系のシンクタンクであるアジア・パシフィック・イニシアティブが2019年から1年半にわたって行った、デジタル技術の社会実装についての調査・研究をもとに、プログラムの座長を務めた馬田氏が著したものです。
その調査・研究から見えてきたのは、「今の日本に必要なのは、注目されがちな"テクノロジー"のイノベーションではなく、むしろ"社会の変え方"のイノベーションではないか」ということでした。
さまざまな事例からテクノロジーの社会実装の成功者たちは、テクノロジーを社会に実装するというより、よりよい未来をつくることを目的として、そのためにテクノロジーを活用することで「未来を実装」しようとしていたことがわかってきました。
本書ではそうした未来をつくるための方法が、1つの前提と4つの原則を通じて示されています。
それぞれに豊富な事例による説明が加えられていて、わかりやすく、実践的な内容になっています。
テクノロジーを活用して社会課題の解決をめざす起業家や、企業の新規事業担当者にとって必携のハンドブックになるでしょう。僕自身もこれから社内起業家の育成やスタートアップとの共創を進めていくためのハンドブックとして大いに活用したいと思います。
ちなみに、かつて当社が経営危機にあった時期に僕の導き役になってくれた本に『学習する組織』*¹がありましたが、本書の出版元も同じ英治出版であることにご縁を感じています。
本書との対話を通じて印象に残ったことに触れながら、その魅力をご紹介したいと思います。
まず始めは、「インパクト」です。
著者自身が「本書のタイトルは『インパクトからはじめよ』でも良かった」と述べているように、「インパクト」は本書にとって最も重要なメッセージです。
この言葉はもともとNPOを中心とするソーシャルセクターで用いられていましたが、近年のSDGsやESGなどの台頭とともにビジネスの世界でも注目されるようになってきました。
そうした時代の変化を踏まえて「ソーシャルセクターの手法を民間に逆輸入」しようというのが本書のねらいです。
「インパクト」は影響力や効果と訳されていて、NPOでは社会に対して与える影響のことを「社会的インパクト」と言います。
では、なぜ「インパクト」が重要なのかというと、それは「インパクト」を描くことが取り組むべき課題を明確にしてくれるからです。
このことは日本のような成熟化社会に生きる私たちにとって重要な意味を持っています。
というのも現在の日本においては多くの課題がすでに解決されてしまっているからです。
戦後の日本が直面したような貧困や劣悪な公衆衛生、過酷な労働環境といった課題は、完全にではありませんが概ね解決されています。
途上国のように、見渡せばあちこちに課題が見出されるという状況とはかなり差があります。
このことに関して、著者は社会学者の小熊 英二氏の『地域をまわって考えたこと』から次のようなエピソードを紹介しています。
「ずいぶんと、ここには記者さんたちがきました。困ったことはないかと聞かれる。一番困るのは困ったことがないことです。」(津軽半島の集落)
「住民からは、困りごととか、不便さとか、そういう不満を聴くことはあまりなかった」
「将来への不安をたくさん耳にした」(群馬県南牧村)
「将来への不安」はあるけれども現状において「困ったこと」はない、というこの状況は、必ずしも過疎地の住民に特有のことではなく、都市に住む人たちを含めて多くの人に当てはまるかもしれません。
先日お会いしたZ世代の起業家も「自分たちの世代は課題の枯渇した時代を生きている」と言っていました。
こうした状況の原因は、おそらく課題というもののとらえ方にあります。
これまでの課題というのは、おもに過去からのマイナス、あるいは現状のマイナスをゼロまで持っていくこと、つまり不を解消するという意味でとらえられてきました。
それに対して、2020年代における課題というものは、とりわけ日本を含む先進国においては、現在のゼロを未来のプラスに変えていくという課題に変化しているからです。
かつての「マイナス→ゼロ、過去→現在」という課題のあり方から、「ゼロ→プラス、現在→未来」へと課題のあり方そのものが180度転換しつつあるのです。
問題は私たちがこのようなパラダイムシフトに追いつけていないということではないでしょうか。
そのことが「困ったことはない」一方で「将来への不安」が大きいという奇妙な感覚につながっているのではないかと思います。
では、どうしたらこれからの課題観に転換することができるでしょうか。
その答えが「インパクト」です。
裏を返せば、理想がなければ課題もないということになります。
つまり「課題がないという現象が起こってしまう原因の一つは『理想がない』から」です。
理想=インパクトを掲げて成功しているビジネスの例として、テスラが挙げられています。
テスラは「より良い未来のために世界の持続可能エネルギーへのシフトを加速する」という理想の社会を提示して、その理想と現状とのギャップを描き、そこを埋める製品として自社のEV車を提案しています。
「インパクトからはじめよ」
未来を実装するためのスタート地点です。
本書を読みながらすっかり感心してしまったことの一つが背景説明です。
複雑な事柄について、それに精通している人が適切な理論と歴史的な経緯、具体的な事例などを通じて丁寧に背景を説明してくれると、頭の中がすっきりと整理されて見通しが良くなり、考えをまとめたり発展させたりしやすくなります。
このように、何かを考えたり、議論したりするに当たって、まずその背景について解説することが背景説明です。
著者自身は「背景説明」という言葉は使っていませんが、「テクノロジーの社会実装」というテーマを論じるに当たって、私たちの置かれている状況、とりわけ現在の社会とデジタル・テクノロジーとの関係について、とても丁寧でわかりやすい背景説明をしてくれています。
まず、理論的な拠り所としてカルロタ・ペレスという経済学者の「技術革新のSカーブ」が紹介されます。
これはすべてのテクノロジーには導入期と展開期があり、縦軸に技術の普及度、横軸に時間をとると、技術革新はSカーブ型に普及していくというものです。
導入期から展開期へのターニングポイントにバブルと恐慌があります。
著者はこのSカーブを用いて産業革命以来のさまざまな技術革新とその社会実装の歴史を振り返ります。
その中でも秀逸なのが「電気の社会実装」です。
科学者たちによる電気の性質の解明は、1800年代の前半から始まっています。
そして、1880年代にエジソンが電球や発電機を発明したことで産業化がスタートしました。
しかし、20年後の1900年時点でも、電気のモーターで動くアメリカの工場は5%以下にとどまっていました。
工場で電気が本格的に利用されるようになるのは1930年代からで、発電の発明から数えると実に50年の年月を要しています。
なぜそれほど長い時間がかかったのか。
それは、技術そのものの問題というよりは、むしろ技術以外の事柄、例えば工場のレイアウトを変えることや、ビジネスモデルそのものを変えること、従業員の教育の必要性などでした。
さらには法律の整備や規制の導入なども不可欠で、そうしたことに時間がかかったからだといいます。
それが、テクノロジーのSカーブの「発展期」において必要とされる「社会のイノベーション」です。
現在、日本では国を挙げてDX(デジタルトランスフォーメーション)が進められていますが、DXは必ずしもスムーズに進んでいるわけではありません。
例えば、コロナ禍において、マスクの配布や給付金の支給をめぐる混乱や、リモートワークにもかかわらず判子を貰うために出社しなければならない事態が生じるなど、DXが進まないことによるさまざまな問題が浮かび上がってきています。
これらはすべて、テクノロジーのイノベーションの問題ではなく、テクノロジーを活用できない社会のあり方の問題であると言えます。
これまでDXに関しては、ともするとデジタル・テクノロジーの「導入」を急げというような風潮があり、個人的にも違和感があったのですが、その違和感が何に起因していたのかがすっきりと理解できました。
デジタル・テクノロジーはすでに発展期に入っているにもかかわらず、多くの人たちのメンタリティは未だに導入期のころのままで、頭の切り替えができていないことが原因なのでした。
著者は100年前の人たちがEX(エレクトリック・トランスフォーメーション)をどのようにして進めてきたのかを振り返ることで、私たちがDXを進めるための視座を示してくれています。
専門家以外の人にもわかる丁寧な背景説明というものは地味で手間暇のかかる作業だと思いますが、それが導入部でしっかりとなされることによって、その後の議論がスムーズになり、結果的に良い実装につながる。
優れた背景説明にはそうした偉大な力があることをあらためて教えてくれます。
ところで、テクノロジーの展開期においてはテクノロジーのイノベーションよりも社会のイノベーションの方が大事だとすると、私たちはどのようにして社会のあり方を変えていったら良いのでしょうか。
そこで重要になってくるのが「ガバナンス」です。
本書では「ガバナンス」は、法律、制度、社会規範などを含む広い意味でとらえられています。
そして、これらとの関係で私たちがつくり上げているネットワークのような相互作用のシステムをアップデートしていくことをめざしています。
それはデジタル・テクノロジーが導入期から展開期に移行したことで、それまでのようにデジタルの世界だけで完結する領域が狭まってきて、フィジカルの領域や既存ビジネスの領域に滲み出してきているからです。
GAFAを例にとると、グーグルやフェイスブックのように100%デジタルの世界だけで成長できるビジネスはすでに飽和状態にあり、残された領域はわずかしかありません。
そこでデジタルからフィジカルな領域への滲み出し、0→1のビジネス創出から既存のビジネス領域への進出、いわゆるOMOが起こっています。
具体的には、Uberのようなライドシェア、Airbnbのような住まいのシェア、さらにはMaaSやスマートシティなどです。
これらはすべて、車、不動産、都市のようなフィジカルなものとかかわります。
デジタル発のビジネスがフィジカルの領域に滲み出してくると、そこにはデジタルの世界にはなかった法律や規制、社会規範が存在します。
また、フィジカルの領域には既存のビジネスが存在しているので、この領域に侵入しようとするとさまざまな反発や軋轢が生じます。
そうした軋轢を解消してビジネスを進めるためにはデジタルビジネスはフィジカルとの折り合いをつける努力をしなければなりません。
これまでのようにデジタルの領域から一方的に既存ビジネスをディスラプト(破壊)することは、もはやできないのです。
本書ではおもにデジタル・テクノロジーの実装をめざすスタートアップや新興企業の事例が取り上げられています。
例えばフィンテックなどがその代表例です。
しかしながら、同様に既存のビジネスの側もデジタル・テクノロジーを活用するためには既存の制度や規範、組織などを変えていくことが必要です。
コロナ禍でのリモートワークで、判子を貰うために出社しなければならないといった事態もその一例です。
これなどは、明らかにテクノロジーの問題ではなく社内規定や慣習などが障害になっていて、広い意味での「ガバナンス」の問題と言えます。
同じように卑近な例で言うと、大企業におけるSNSの活用があります。
大企業に勤める社員はプライベートではSNSを利用していますが、一方でビジネスとなるとSNSを活用する機会は限られています。
IT系の新興企業を除く既存の大企業では、業務上でのSNSの利用は原則禁止というところも珍しくありません。
コンプライアンスで明確に利用が制限されているところも多いでしょう。
これはおそらく炎上を恐れて、あるいは内部情報の流出などを懸念してのことと思われます。
これまでの大企業の文化ではこうしたことは当たり前というか、止むを得ないことなのかもしれませんが、スタートアップや新興企業から見ると不思議に見えるのではないでしょうか。
というのも、スタートアップ、中でもto Cの企業にとってSNSは顧客との接点、新規顧客の獲得手段として欠かせないものだからです。
彼らにとってSNSが使えなかったとしたら、手足を奪われたように感じることでしょう。
Z世代を中心にテレビなどマス媒体への接触が減少し続ける中で、既存の大企業が情報発信や顧客とのコミュニケーション手段として今後もマス媒体やWebサイトしか使えないとしたら、一体どうなってしまうのでしょうか。
これではまるで自分の手足を自分で縛っているようなものです。
既存の大企業はAIやブロックチェーンなど新たなテクノロジーの導入には熱心で、それ自体は良いことだと思いますが、それが一時代前のテクノロジーの導入期のメンタリティを引きずっていることが原因だとしたら、認識をあらためて、すでに導入されて、私たちの生活においてあって当たり前になっているテクノロジー、例えばSNSや電子認証などをビジネスにおいても当たり前のように活用することにも力を入れるべきではないかと思います。
こうしたことも広い意味でのガバナンスのイノベーションと言えるでしょう。
あわせて、フィジカルの領域、既存ビジネスへの領域への進出にあたって葛藤しているデジタル発のスタートアップとの協業に取り組むことは、自社のビジネスを進化させるためだけでなく、デジタル・テクノロジーの社会実装を進めるうえでも重要だと思われます。
共創を通じて新たな相互作用のシステム、ネットワークをつくり出すことで、
今回はいつもより長文になってしまいましたが、本書と交わした対話の一端をご紹介させていただきました。
少しでも多くの方が本書に興味を持っていただき、未来の実装に向けたハンドブックとして活用していただければ幸いです。
*1 『学習する組織――システム思考で未来を創造する』|ピーター・M・センゲ(著)|英治出版|2011年